2008年9月16日火曜日

佐久島へ昼飯を食べに行って来ました

一昨日(‘08/9/14)旧友たちと三河湾に浮かぶ美島「佐久島」へ昼飯を食べに行って来ました。
ここ(木工房)を開業する前には一人でちょくちょくと定期船に乗ってわざわざ昼飯を食べに行っていたんですが、たぶん開業して初めて佐久島の地を踏んだんではないかな・・・?
佐久島は観光で生きて行くしかないんですが、他の観光地と違ってこれといった観光スポットがな~んにもないんです・・・それがまた良くて自分も含め何度も何度も訪れる人がだんだんと増えて来ています。
3.5年ぶりの佐久島もやっぱり「わざわざ昼飯を食べに・・・」なんですが流石に人数が人数なので民宿に予約を入れての宴の会でした。この島での宴の会の特筆は並んだ皿の数の多さは当たり前の事なんですが「海の幸」を自慢してる他のところでは考えられないんでしょうが隣の人の皿と乗っかってる魚の種類や魚の数、大きさが違うんです・・・


←カレイ
 メバル
 カサゴ
 アイナメ



                                  ↑マダイ、マメダイ、カレイ
そしてそれが「佐久島」では当たり前の事としてまかり通っているんです・・・

またまた木工の話と関係がないとお思いでしょうが実はこれが関係が深いんです。
なぜ佐久島の宴会の魚は隣の席の人と種類や数が違うのか・・・
それは佐久島の民宿では海産物はみんな「天然物」なんです。
そう、決して養殖で育った魚を何処も使ってないからなんです。
あえて拘って天然物を使っているのかどうかは本人に確認はしていませんが、そんな事よりも重大な理由があるんです・・・。佐久島は篠島や日間賀島と違ってフェリーが通っていません・・・本土から僅か数キロしか離れていないんですが「離島」の指定を受けてるんです・・・
したがって必要な数の魚を市場とかに発注することが不可能なんです、いや、可能なんですがその商品を新鮮なうちに無事届ける方法がないんです。けれど幸いなことに佐久島には元気な漁師さんがまだ沢山いてくれて、獲れたての魚たちは毎朝の佐久島漁協の朝市で豊富に取引されています。
民宿のおやじ(と言っても自分と同じ世代です・・・歳とりましたねぇ・・・)たちはこの市場で今日のお客さんたちの要望どおりの魚を必要数だけ仕入れるのです。ただし・・・昨晩獲った魚たちです・・・当たり前のことですが、大きさは夫々でしょうし希望の数がそろう筈はありません・・・したがって佐久島の宴会の器に盛られた魚は隣の席の人と種類や数が違うのが当たり前なんです。
極々たまに大都会島からの団体さんの幹事さんが目くじらを立てて怒る事があるそうですが、それは「佐久島」を選んだ「あんた」が間違えてると私は考えてます。それを望むんであれば日間賀島か篠島を選ぶべきだったんです。
佐久島の民宿のおやじたちが一番困るのが大勢の客の予約の入っている前日に海が荒れることです。海が荒れていれば漁師たちは船を出しません、朝の佐久島漁協の魚市場には魚が一匹もいない時もあります。一度、前日に台風が通過する予定の日に友人の経営する民宿に泊まりの予約を入れておいた日がありました。前々日にその友人から電話が入りました・・・
「どうする?来る?」
「えっ?だって台風、行っちゃうじゃん!?、台風一過の素晴らしい日になるぞぃ!?行くで!」
「ほいだけどが、食うもん何にもないぞ、ほいでもいいか?」
「良い良い!ほいじゃあ、あさって行くで!」
天気予報どおり台風の通り過ぎたその日は真っ青な空が全天に広がるこれぞ秋晴!と~ってものんび~りと佐久島を散歩できました。さて、その日の民宿のメインディッシュは・・・トンカツと大アサリのフライが1つにマグロの刺身でした・・・。
多人数の宴会で同じ種類の同じ大きさの魚を人数分並べることは、また、たとえ台風が通過した翌日でもお客さんに三河湾の幸をたらふく食べて頂くことは佐久島では無理なんでしょうか?
1つ方法はあります。小学校のプールくらいの大きさの「いけす」を作って獲れた魚は一時その中にプールさせておけば必要な時に必要な数だけ「いけす」からすくってくる、これならば安定的な供給が可能になります。問題は誰がその巨大な「いけす」を作るのか、また入れた魚を活かしておくためにはエアーレーションが必要だろうし餌だって与えなければいかんでしょう・・・餌を食らえば当然「雲古」もするだろうから定期的に掃除だってしなくっちゃあいけなくなるだろう・・・このイニシャルコストとランニングコストを誰が負担するのか?負担したコストは当然、取り帰さなければいけません、それは新鮮で美味しい三河湾の魚を好きな時に好きなだけ欲するお客さんが最終的に負担する事になるんでしょうね・・・そんなんだったら世間では非常識なんだけどが佐久島では常識であり宝である、「隣の皿と魚が違う」方を選んだほうが賢明でしょう!
魚はどんな高価な冷凍魚よりも兎にも角にも何よりスナハチ、ついさっきんまで三河湾を元気に泳いでた「新しい」が美味に決まってマス!
皆さん一度、「天然物」の獲れたての三河湾産の魚を食しに佐久島へおいでくだされ!

さて結局、「木工」の話は出て来ませんでしたねぇ・・・いや実は今までの「新鮮な天然物の魚」はそのまま「木材」にも言える事なんです。なのでここで木工屋の「たわごと」を聞いて下さい・・・
自分のような木工屋が材木を購入する方法には
①原木(丸太)を材木市場で競り落として(これは権利を持った材木商しか出来ないんで予め気に   入った丸太を見てこちらの予算を言って依頼する)製材屋に持ち込んで賃引きしてもらう
②製材業も兼ねる材木商から板割になった材を購入する。北米材とかはバンドル単位なら材木商から仕入れることが出来るのでバンドルで買う。
③製品を扱う材木商(ブローカーでも良いです)から製品(テーブルトップ用とか建具なら木取り材)を購入する

まあ大雑把ですがだいたいこの3方法で購入しています。
① 方法ですと木材はものすご~く安く買えます。ただ製材所で割ってみたら中から水割れなんかが出てきてしまったら頭を抱えてしまいますね・・・何もなく無事に板になっても、届いたズブ生の材をこれから永~い永い時間を費けて乾燥させなくてはいけません、その間、カビが入らない様にやら日割れをおこさない様にやら大量のエネルギーを消費します。
② になると材木屋で板を見て価格を聞いてからなんでリスクはありません。ただ購入単位は丸太1本ごとなんで何時使うのか判らないのに余分に購入する事になります。因みに価格は立方米で倍くらいなんですが実数石(木の材積の事です)が丸太石の半分以下なんで実際の材の価格は丸太の時の約4倍と見ていいでしょう。(丸太は空気も一緒に買わされます)
③ は必要な時に必要なだけ材木屋さんが運んできてくれます。突然の仕事の時でも材木屋さんによってはその日の内に工房に入荷してくれるところもあります。もちろんその分価格はうpして大体②(「ばんこ」とか「いたご」って呼んでます)の2倍くらい、時たま特別な厚みなんかお願いすると「ぼったくり」の値段をとられますね・・・でも無理な仕事の依頼が入っても対処できるんで助かります。結構この買い方が多いですね。大きなデメリットは扱ってくれている材種や厚みが限られていることです。当たり前ですよね、材木屋も商いです、何時出るのかわからない樹種や厚い材料なんかを持っていてもデッドストックになる危険性が高いんで持たないってことです・・・樹種で言えば建具材(木取り)では木曾桧やスプルース、米ひば、あとタモを木取りで持っていてくれてる材木屋を知ってます。厚みでは定番の36mmのほかは45mmは揃いますがその上は聞いてみないと判らない時が殆どです、以前に45mm仕上厚のナラの建具を突然お願いされ、探しに探してやっと60mm厚の板をバラで分けてくれる所を見つけて・・・立米あたり¥1、000、000・・・ぼったくりの価格を払いました・・・
ナラ材は北海道産で立米で¥100、000程でしょう、丸太で仕入れて製材後に雨に当てたり日に干したりと乾燥場所を何度も替えながら2~3年経った頃にちょうど45mm厚のドアの仕事が入る確率は限りなくゼロに近いでしょうね?なので建具材(柾目挽き)としてナラを丸太で持つ気はありません・・・ぼったくりの価格で電話1本で持って来てもらいます。図面指定で特殊厚や特殊材を書かれている設計士さん・・・この事を頭の片隅の何処かに刻んでおいて下さい。
以前までは③の方法で「三河杉」や「三河桧」の購入は不可能と思っていました。ところが「ログウェル日本」さんと出逢って「あいちの木」に参加するようになったら「杉生」さんと出逢い見積りに「三河杉」や「三河桧」と記載出来る様になりました。だんだんと「愛知県産材」のウェイトが高くなってきた時にちょうど幡豆町の鈴木林業さんを知りました。鈴木林業さんは「愛知県産材」には特別拘ってるわけではないんですが自分の目で丸太を見て買うことに生きがいを見つけてるみたいなので、当然近場の材木市場からの購入なので必然的に「三河材」を多く持ってくれています。2Fの乾燥材置場には国有林産の「鳳来杉」もありますし民間の「三河杉」「三河桧」も豊富にあります。②の方法で三河杉を3年の間に3本買いました。木目がもう少し粗い木が希望なんで今度の材は丸太でお願いしようと思っています。木工房が建具材で丸太を持つとすれば「三河杉」だけでしょうね。
例えばカントリーファニチャーは樹種も限定してるしデザインもほぼ決まっているんで丸太で仕入るのがベターです。テーブルトップ用に巾広の部分を厚く挽いておけるし、丸太の側に近い部分はイスのバック材とか座面とか巾が狭くても良い部材用に30㎜に挽いておけば良いんです。そういえばサイトに上げてある「自然素材ダイニングテーブル」は②の方法で仕入れた「シナ」の残り材を持っていたんでこちらから奨めて製作しました。なので材料費は随分とお値打ちな結果になりました。

そんなこんなで「魚」に「新鮮」を求められる様に「木」には「十分な乾燥」が必須条件として求められます。どちらも天然素材で決して工業製品ではありません、安定供給には条件がついています。佐久島の皿の様にこちらの条件なら対処できるようにはしていますが、特別な材料や特別な厚みとかをすきな時に好きなだけをお求めになられる方用にどこかがストックしておかなければいけません。もちろん「ただ」ではありません・・・そのコストはエンドユーザーさんにご負担して頂くしかありません・・・

ついしん
そういえば「都市の森再生工房」さんから入手って方法もあります・・・
他との競争もなくぬくぬくと育った街路樹や公園の木なんで若齢ってことも上乗せされて、材になってからは暴れまくるんですが適材を適所に使用してやるとなかなか立派な木製品に生まれ変わります?

←事務用カウンタートップは街路樹だった「イチョウ」


 某公園にあった「クス」で七厘炉台→

2008年8月31日日曜日

三河湾浄化市民塾へ参加してきました

昨日(‘08/8/30)久しぶりに、本当に久しぶりに三河湾浄化市民塾の集まりに参加してきました。
参加って言っても安城市でちょっとした企画が開催されたんでそれへの参加ですが・・・
ここ(木工房)をはじめる前までは月に一度の例会(ただ集まって食いながら喋るだけですが)にも結構な打率で参加して、集まっってきた皆んなの話に刺激されて自分なりに、三河湾の浄化のためにとせっせと家庭でも使ったり、小さなドブや流域の養豚場なんかへ「イーエム」を流したりしてました。
「イーエム」を流しての河川や海の浄化には「良いことか?悪いことか?」と2者択一を問われれば基本的には宜しくないとは思っているんですが、流していてサカナたちが戻ってきてくれたドブを見ると実際、ウレシクなったのは実感ですね。
ここ最近では年に一度の忘年会へ出席するのがやっとでしたので昨日の催しはタイムリーでした。というか自分への戒めかな?とにかく「木工房」の始まりと同時に三河湾浄化のボランティアもとりあえずここなてに置いといて・・・のまま今日を迎えています・・・けどが、今の自分の源流みたいなもんだから忘れられそうになる前には参加して行きたいですね・・・(;^_^A

たしか中学生の頃だと記憶してるんですが朝日新聞の連載小説に有吉佐和子さんの「複合汚染」が掲載されてました。ティーンエイジャーだった自分にはかなりの衝撃で、それからしばらくは「せめて自分だけでも助かろうっ!」てんで地元の生産者から聞いた「農薬じゃぶじゃぶのお茶っぱ」とか「ハウス栽培のきゅうり」とかをかたくなに拒絶してた頃もありました・・・

 どうもこの話は限りなくエンドレスに続いてしまいそうです・・・今日のところは「続く・・・」ってことで・・・

2008年8月26日火曜日

線路は続くよ何処までも・・・

「夏草や兵どもが夢の跡・・・」

と書きましたが画像はけっして戦場跡地の画像ではありません・・・

画像は工房のすぐ隣の放置地で、つい四年前までここには名鉄三河線の軌道が設かれていました、その跡地の画像です。木工とは全く関係はないんですが、「名鉄電車も見放した・・・」と書いたんで、いきなりの寄り道です。まさに「見放された」がぴったりの画像でしょう?その最たる理由というか動かぬ証拠ですね・・・?(それにしても戦場跡と言っても通りそうな程の荒地ですね?)

この線路は末期にはマニアたちには海線と呼ばれていました、沿線に住む一部の人たちにとってはかけがえのない交通手段でした。一部というのは移動に自家用車を使えない子供たち(特に高校生)や運転免許証を持っていない老人たちです。田舎者は何処へ行くにもすぐにマイカーを使っていますんで確かに電車に乗る機会は稀です。当たり前です自分ちの玄関から10歩も歩けば車があって目的地の建物のすぐ近くに車を停めてドアから降りれば良いんですから・・・沢山の荷物を持つ時なんかは特に車ですね・・・今では・・・

けど自分等がそんな事を繰り返して来た結果があの荒地だもんで文句を言う権利は何処にもありません・・・が自分が高校生だった頃はグ○コのレスポールを抱えてよくこの線を使いました、時には60Wのギターアンプやら非度い時にはドラムセットを5人くらいで分担して手荷物で乗車した事もありました・・・

マニア間で「海線」と呼ばれていたと書いたんですが、それはここが碧南駅から吉良吉田駅間の往復路線になってしまったからでそれ以前は知立駅まで行っていました。さらにその前までは時刻表に書いてある行き先駅名はすべて「西中金」でした。グ○コのレスポールを抱えながら「西中金」ってどんなところなんだろう?刈谷とか高浜とかに向かう電車に乗りながらたまにそんな事も考えたりしていました。

毎年夏休みになると想い出すんですが高校の2年か3年か忘れてしまったんですが兎に角、時間がたっぷりあったある夏休みに悪友と目的もなしに刈谷方面へとこの電車に乗ったんです。で特別何処へ行く、何処で降りると決めてなかったので一度終着の「西中金」まで行ってみようとなりました。

西中金は豊田のさらに矢作川上流とは知っていましたんですが、矢作川の最上流に架かる鉄橋(最下流に架かる鉄橋も名鉄三河線でした)や窓から手を出すと葉っぱに触れそうな程の林の中の最徐行運転、三河線唯一のトンネルなどに、ひねくれてた高校生はすこぶる感動してしまったのを憶えています。


2008年8月24日日曜日

1000人の方が・・・

8月18日に木工房のサイトのカウンターが1000をカウントしました。
昨年の「名古屋国際木工機械展/ウッドエコテック2007」に「あいち節木工舎」で出展する際にチラシを置く事になりあわててトップページのみのサイトうpで始まったんですが、それから4か月経った今年の2月の終りにある程度のページにしてカウンターを付けたんで実際には約6ヶ月、180日です。
1日平均にすると5.5人の方が訪れて頂いたことになります・・・m(_ _)m
よくもまあこんな愛知県の果て名鉄電車も見放した過疎地まで沢山の方がお足を運んでくださったと感激しています。

ここなてのブログページも近頃では「サイトよりもブログ」って感じなので兎に角、「どこか雨風をしのぐ処だけは確保しなくては」ってんで間借りなりにもうpしたまんまず~っと今日までほうかってあったんですが、やっぱり何か書かなくっちゃアいけませんねぇ・・・
ブログって所謂「日記」なんでしょうが、「日記」となると今までに何回初めて途切れたことか・・・
また今回もそうならない様に「日記」ではなくって「週間記」・・・いや「月記」のつもりでやってみます・・・m(_ _)m

2008年5月16日金曜日

皆もすなる「ぶろぐ」といふものを

皆もすなる「ぶろぐ」といふものを、自分もしてみむとてするなり・・・
というわけで、ブログのアカウントは取りました・・・